1.「挑戦」します。
−ふるさと輪島の明るい未来をともに切り拓こう−
輪島市を含む奥能登地域には特有の自然、歴史、伝統、文化、美食など、たくさんの観光資源と豊かな暮らしがあります。
しかし残念ながら、少子高齢化、人口減少による過疎化が急激に進み、新型コロナウイルス感染症の影響も相まって、地域の活力が失われています。でもピンチはチャンス。
コロナ禍を経て人々の価値観が大きく変化した大転換期にある今こそ、この厳しい現実と改めて正面から向き合い、また他にはない魅力と可能性を最大限に活かし、将来を担う世代が中心となって新しい目線で未来図を描き、その実現のために行動する時であると確信しています。
「成功の反対は失敗ではなく、挑戦しないことである」(トーマス・エジソン) 先人たちが紡いできた歴史を大切に守りさらに次世代へと継承していくためにも、地域の宝である子ども達がふるさとの暮らしに夢と希望を持ち続けられるようにするためにも、時代の要請に柔軟に応じながら明るい未来を新しい時代を皆様とともに切り拓いていきたい、それが私の強い思いであり「挑戦」です。
2.北村まきこの経歴
生年月日/1982年2月7日生まれ
出身/石川県輪島市出身
輪島市立鳳至小学校卒業
金沢大学教育学部附属中学校卒業
金沢大学教育学部附属高等学校卒業
慶應義塾大学法学部法律学科卒業
海外留学(アメリカ・中国) 民間企業にて広報・調達業務
衆議院議員馳浩事務所 秘書
衆議院議員北村茂男事務所 秘書
衆議院議員小森卓郎事務所 秘書
趣味/旅行・スポーツ・プロレス観戦
3.北村まきこの生い立ち・性格
輪島市生まれ。私は4兄弟の末っ子として生まれましたが、活発な兄や姉とは違い、恥ずかしがり屋でおとなしい性格でした。
留守がちな父が家にいるときは末っ子の特権で父の膝の上を独占していたパパっ子でした。
体を動かすことが大好きでスポーツも得意だったので、兄や姉たちに混ざって、野球やサッカー、ローラースケートなどでよく遊んでいました。
鳳至小学校時代は兄の影響もあり、ミニバスケットボールに夢中になり、放課後は体育館にこもってバスケットに没頭していました。
また漁師の友達の父親などに連れられて漁船で海に連れてってもらったり、輪島の自然にも触れながら活発に遊んで育ちました。
たくさんの友達や恩師との出会いに恵まれ、地域の方々に温かく見守って育ててもらった幼少期を過ごしました。
コツコツ勉強するタイプではありませんでしたが、持ち前の負けず嫌いの性格で勉強も習い事も一生懸命取り組み、大学卒業後にはアメリカ、中国への留学を経験しました。
国内企業、外資企業を経て、また国会議員秘書を10年ほど勤めた経験を活かし、今回立候補に至ります。